手段が目的になっていないか

 

僕は、なんやかんやで英文の音読を毎日行っているのですが、ふと疑問に思ったことがあります。

 

 

     

   そういえばなんで英語勉強してるんだっけ?

 

 

 

たしか、せっかく受験期には英文がそこそこ読めてたのだから、大学生になって読めなくなるのはもったいない、と思ったからだった気がします。

 

 

 

でも改めて考えてみると

 

 

   英語を読まなければならないことって今なくない?

 

 

と思いました。

 

 

英語って言語ですよね?英語が言語である限りは、英語はコミュニケーションのツールでしかないはず。つまり、英語を勉強する本当の目的は、相手とのコミュニケーションを可能にすること。相手の話してることがある程度理解でき、こちらの思いを相手に正しく伝える。これが真の目的ですよね?

 

 

かなり前のことなのですが、芸人の出川哲朗さんがテレビの企画でアメリカに行ったことを思い出しました。そこで出川さんが与えられた課題は、自分の力だけで現地の人々にインタビューをし、お題となった場所へ行くこと。簡単に言えば目的地の場所を聴き、自分でたどり着くことでした。出川さんは全くというほど英語を話せていませんでした。自分が知っている英単語を言うだけで文にもなっていませんでした。でも、出川さんは目的地にたどり着きました。出川さんは必死に自分の中でワードを探し、ジェスチャーを加えたりして見事に自分の意志を相手に伝えることに成功したのです。今になって初めてこれが真の英語を学ぶ意味なんだと思いました。大切なのは発音でも正しい文法でもありませんでした。相手に伝えたい、わかってほしいという意志の強さと必死さなんだと思いました。今その番組を思い返すと、現地の方々は出川さんの話すことに耳をしっかり傾けていました。意図を何とか読み取ろうとしていました。これも、出川さんのわかってほしいという思いと必死さがあったからなんだと思います。

 

 

 

今の僕は、英語の勉強を続けることが目的になってしまっていた気がします。

 

 

 

もう一度、自分が何のために勉強するのかを考え直したいと思います。

 

 

 

そして、目的をはっきりとさせ、手段が目的にならないように気を付けようと思いました。

 

 

以上、手段が目的になっていないか、でした!